フレデリック・ミシュキン(「家計の貸借対照表と大不況」一九七八年)は、株価崩壊を中心とする金融資産価値の喪失が家計部門のバランス・シートを回復しようとする行動を招き、そのために総需要が長期にわたって抑制されたとする仮説が統計的検証に耐えることを示した。
また、ベン・バーナンキ(「大不況の拡散における金融危機の非貨幣的効果」一九八三年)は、マネーサプライの数量の縮小ではなく、銀行閉鎖によって支払いシステムがシステムダウンを起一)したことが、不況の深刻化と長期化に深い関連をもっていたと主張した。
ためらうアメリカフリードマンとシュウォーッは、一九一四年に設立されて日の浅かった連邦準備政策の過ちの政策的判断の誤りを数々指摘し、もしも金融政策が適切に運用されていたならば、歴史的な大不況は早期に克服されていたか、もしくは通常の景気後退にとどめられただろうと指摘した。
じっさい、歴史の後知恵をもって振り返れば、連銀の誤判断を含め、いくつかの決定的に重要な時点においていかに多くの過ちが犯されたかが明らかとなる。
まず第一に、ドイツの賠償問題を別にすれば、一九二五年イギリスが旧平価で金本位制に復帰したことがその発端であった。
このときイギリスは、旧平価という国家的威信にこだわることなく、経済的現実に忠実にポンド切下げとともに金本位制を回復すべきであった。
(フランス、イタリアは切り下げられた新平価で金本位制復帰を果たし、その後一時的な資金の国外逃避はあったものの、貿易収支は順調に推移した。
日本政府は井上準之助蔵相のもとに、高橋亀吉、石橋湛山、小汀利得、山崎靖純のいわゆる新平価解禁四人組の反対論にもかかわらず、一第二の重要な誤りとしては、当初からの多数の経済学者の反対にもかかわらず、フーヴァーが実行したスムート・ホーリー関税法があげられなければならない。
一}の法律による関税引き上げによって、ヨーロッパは戦後の不調整を世界最大の消費国アメリカへの輸出によって達成しようとする意図を完全にくじかれてしまった。
また、この関税法は結局カナダ、キューバ、メキシコ、フランス、イタリア、スペイン、オーストラリア、ニュージーランドなどによる報復的関税引き上げを招き、イギリスはこれをきっかけに大英帝国内だけの特恵関税措置を大幅に増進させた。
米欧貿易は縮小し、一次産品・資源輸出国も甚大な被害を蒙った。
この法律はアメリカ農業の保護にはまったく役立たず、大不況の世界中への蔓延を促す効果しかもたなか九三○年旧平価での金解禁を実行した。
今から思えば四人組の主張はこよなく正しかったが、新聞は「多年の暗雲」に一掃され、「国力進展の秋来る!」と見出しをかかげてそれを慶祝した。
既に見たように、チャーチルの決断はアメリカへの資本移動を促進し、それに対処すべくニューヨーク連銀が金融を緩和したことによって、アメリカの株式市場の暴走に拍車をかけた。
株価の急騰はアメリカからヨーロッパへと向かっていた資本移動の流れを国内におしとどめた。
それによって、ヨーロッパはさらに資本不足に陥り、三一年へ向けて金融危機が醸成されていた第三に注目すべきは、一九三二年やはりフーヴァーの責めに帰すべき均衡予算の策定である。
不況のどん底にあってなお、国家財政の建て直しが経済全体の再建に優先するとした判断は狭小であったし、均衡予算が金融市場における信頼の回復をもたらし、経済再建の基本となるとする分析は、これ以上の誤りはないほど誤っていた。
第四に金融政策の誤りも数多い。
二九年秋の株式暴落の直後こそ連邦準備はマネーサプライを増加させたものの、三○年三月には「現在のところ、これ以上政府証券買入れの機会はない」として買いオペを中止した。
三○年秋の銀行閉鎖に際しては、問題銀行が農村部の連銀非加盟銀行に集中していることを理由に、積極的な支援策を講じなかった。
一年以上にもわたる不況の中で、連銀は政府証券買入れの二倍の大きさで再割引残高を減少させ、金保有増加量のほとんど三倍もの規模で総信用量が縮小することを放任した(金の不胎化)。
三一年初めには連銀は売り操作に出た。
六月にわずかに買い出動をしたが、連銀は大量の金の流入にもかかわらず、それをベースにしての通貨の拡張には応じなかった。
それどころか、九月のイギリスの金本位制離脱に際して金の流出が始まると、連銀はただちに「公定歩合の引き上げがなければ、諸外国はそれをアメリカの勇気の欠如とうけとめるだろう」として公定歩合を二度にわたって引き上げた。
(『ニューヨーク・タイムズ』によれば、公定歩合引き上げを「銀行界は熱情的に讃えた」。
)二三年の春まで連銀は通貨供給が縮小するに任せた。
連銀がためらいがちに政府証券の買い操作を認めたのは、グラス・スティーガル法が成立し、議会からの圧力が強まった二三年春以降だった。
時の財務長官オグデン・ミルズは「このような状況下に、偉大な中央銀行制度が七○%もの金準備を持ちながら積極的な手段を講じないでいることは考えられない一}とであり、ほとんど許すべからざることである。
連邦準備の資源は現在の危機にふさわしい規模で活用されてしかるべきである」と述べていた。
連銀は四月から五億ドルの買いオペを行い、さらに買いの規模はもう五億ドル拡大された。
しかし、議会が休会に入ると連銀は再び買いを中止し、不活動に終始した。
三三年には銀行危機が蔓延し、ついにはルーズベルトによって全国銀行休日が宣言されたが、それに先立つ二カ月間に「連邦準備の政策と呼べるようなものは何もなかった」。
各連銀はバラバラに行動した。
銀行制度の崩壊が続く中で連銀も。
パニックに襲われた。
オープン・マーケット政策委員会を開催することすら不可能となった。
ニューヨーク連銀は手形買入れ利率を引き下げ、手形の大量買入れを進めたが、それもほとんど焼け石に水の効果しかもたなかった。
連銀は土壇場になって最後の拠り所としての役割を放棄したのである。
こうした経済政策上の過ちの中には、フリードマンとシュウォーヅが主張するように、単にそれを決断した個人や個人の集団の責めに帰すべきものも多かったかも知れない。
しかし、それ以上に多くの場合、政策担当者は独裁的に行動したのではなく、特定の政策を強力に支持する団体や多数の国民に代わってそれを実行したに過ぎない。
そしてもしそうだとすれば、大不況への対応を誤ったのは、アメリカ国民の集団的意思ともいうべきものだったのかもしれない。
キンドルバーガーはそのことを、アメリカが世界経済のリーダーシップをとる政策意志をもたなかったと表現した。
チャールズ・キンドルバーガーは、アメリカに始まった不況が単線的に世界的大世界大不況不況に波及したとする見方を否定し、大不況は当初から世界的大不況だったのであり、それはイギリスからアメリカへの経済的覇権の移行の狭間にできた真空状態が引き起こした不幸な出来事だったと言う。
キンドルバーガーはまず一九二五年から目立ってきた綿花、小麦、砂糖、生糸、羊毛、ゴム、錫、茶など一次産品の過剰生産と国際的商品価格の下落に注目する。
それらの総合価格指数は二五年から二八年までに四○%も下落した。
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